No.1286 |
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From: "Hidenori Narita"
Date: Thu, 3 Sep 1998 21:40:10 +0900
Subject: 学生リーグのお話(そ
成田です。
長文です。暇な時に読んで下さい。
>成田が4年(=4回生)の時です。
>
>まずは、結果の訂正から。
>予選の順位で、1位=京大、2位=阪大、3位=東大、4位=慶応。
>そして、5位=東北大(畔柳さん)、6位=東工大。
>このなかの、4位と5位と6位の差が、それぞれ1VPでした。
>従って、畔柳さんの東北大は、慶応に1VP及ばずに決勝トーナメントに
>進出できなかったのですが、成田所属の東工大は、東北大に
>1VP及ばなかったのです。
>なお、この年はなんと全部で16大学がフライトAにエントリー。
>なので、6位はまあまあ立派な成績だったのですが.......
>
>(悔しいおもひで紹介は、別途UPします。)
>
続きです。
(清水、畔柳、両選手が懐かしい思い出話をUPしてくれていますが
本メールでは、取りあえず成田の記憶をば。)
この時、成田が学生リーグ委員長をやっていまして、丁度任期切れ時期でした。
(成田は3年の夏から、この時の4年の夏まで、雑用委員長を勤めた。)
この頃の学生リーグへの出場資格は、初出場した年を含めて4年目まで、
かつ5回生まで。この種の出場資格にかかわるルールは、
その時代時代で独自のものとなっています。
この時代のルールは、松澤さんや成田などが決めたような気がします。
(松澤さんは、成田の2期前の学生リーグ委員長。)
で、この年は、成田の出場資格最後の年だったのです。
そして、これまでの3年間は、1度も決勝ラウンドに進んで
いなかったのです。(惜しい、という年もなかった)
東工大チームは、約1年前からこの年の夏の学生リーグ
(学生の選手権で一番大きな試合。)のために、
ブルークラブの日本語訳版のコピーを読んで独習し、
(成田が当時、他の先生からブルークラブを習っていたという
事もありまして、一応成田がコーチ役)
日夜、東工大第一食堂で修練を積んでいたのでした。
そしてこの年は、もしかしたら決勝ラウンドに進めるかも
しれないチームになっていたのです。
(参考:この時は、森田、岩井、丹野、成田。1日のみ船橋)
会場は、この年はそうそう、慶應大学の三田でした。
その前の年迄は、四谷ブリッジセンター(現在の四谷連盟会館の前進)で
毎年行なっていたのですが、何かしらの理由でこの年から
追い出されたのです。
(四谷BCにとって学生に1週間も安く貸すより通常の営業をした方が
儲かるから、だったか、学生リーグの財政上の問題だったか、忘れた)
クーラーの効かないだだっ広い部屋で、1試合24ボード、1日3試合、
計15ラウンド(5日)ぶっ続けの予選をやったのです。
(今考えると、スゴイ日程。4人チームはきつかったはず)
この時代は、現在の満点が25VPではなく、満点が20VPでした。
(IMPスケールを見るとすぐにわかるようなスケールだった。
0-1IMP差→15VP-15VP、2-4→16-14、5-7→17-13.......
......37-42→19-1、43-49→20-0、50-59→20-△1....
満点は20VPでしたが、負けると△5までありました)
さて、予選が4日まで終了し、上位3チームは当確と言われてました。
その3チームは、京大、阪大、東大、です。
そして、4位候補としてかなり有力だったのが、東工大だったのです。
慶應大、東北大、がこれに続いてました。
成田は、4日目の夜、うきうきして、もうほとんど決勝ラウンドに
進んだものと慢心していました。
そして、最終日。初戦が東北大でした。畔柳選手のいるこのチームは、
えらく気合が入っていて、こちらが話し掛けても反応しない、
という雰囲気でした。この試合、成田が2ウェイフィネスのゲームを
2回外して、2つとも失点したのを覚えています。
(前日の慢心のバチがあたったか)
結果、20-△1の負け。これで、予選2試合を残し、3チームとも
有力な4位候補となったのです。(でもまだ東工大が少し有利)
そして、東工大の次の相手は、立教大。このチームはかなり
下位に低迷していたので、この試合をがんばれば、またまた
1歩、抜きんでる事ができたのですが........
成田のヘタなサイクが外れて失点、裏ペアがゲスつきスラムに
行ってゲス外してダウン、などがあり、11-9でしか勝てませんでした。
1試合を残して、有力候補の順がまたまた変わりました。
#ここの所、記憶があいまいなのですが、畔柳選手によると、
#東北大の最終戦はICUだったようですが、成田の記憶は違うのです。
成田の記憶によると、最終戦の相手は、それぞれ、
慶應大がICU、東北大が東大、東工大が京大でした。
慶應大の20VPがかなり固いという予想があり、
(ICUはその前の試合の東北大にベストメンバーを出し、最終戦は
メンバーチェンジをした。これは、4位奪取の戦いを面白くする
ための配慮だったのか、同じ関東大学へのひいきかは不明。)
第一の予選4位通過候補が慶應大、第二候補が東北大、
第三候補が東工大でした。なんせ、京大は断然トップだったので、
東工大はかなり厳しい、という見方が一般的でした。
さて、結果、東工大は、この年優勝した京大に13-7で意外な勝利。
(成田はこの試合が始まる前に、ほとんどあきらめていた。しかし、
最後の学生リーグの最終戦なので、サイクはせずに普通にやった
この普通にやる、ってのが難しいんだけど)
さて、慶應大はICUに20-0で順当勝ち。
さてさて、東北大はどうだったか。東大に僅差で敗れたのでは
なかったか、と思います。ここの細かいところは??なのです。
結果は、前述のとおり。
最終戦が終わった後、成田は学生リーグ委員長の最後の仕事が
あるにもかかわらず、ぼうぜんとしていて
「話し掛けても何の反応も無い状態」だった事を
はっきりと覚えています。(泣いたりはしなかった、と思う。)
振り返ってみると、東北大がベストの4人メンバーで全試合を戦ったら、
おそらく楽勝の予選通過だったのではないか、と思います。
慶應大はいつも勝負強く、予選を通過していましたね。層が厚かった。
東工大は、あれが精いっぱい。成田が精神的にもう少し強かったら、
ぎりぎりで通過したかもしれません。(そういえば、東工大は、
試合中にうるさい、というペナルティで1VP引かれたのです。
これが無くても、東北大と同点、慶應大には1VP足らず。)
この時しみじみ思いました。勝負はゲタを履く迄判らないんだ、と。
まあ、気落ちしたにしろ、次の日の決勝ラウンドは、慶應大を
応援しに森田、岩井と一緒に観戦に行ったのを覚えています。
会場は、どっかの公民館でした。当時の雑用委員長
(学生リーグの委員長とは、雑用係りだった)が
足を運んで予約した会場だったのです。
そうそう、この年から、毎年、夏の学生リーグは会場探しが
必須になったのです。
次の年は東工大の学食、次の年は上智大、などなど。
準決勝は、京大が慶應大に貫禄勝ち、東大が阪大に
サイキックの嵐というブリッジをして(反則?)勝ち。
決勝は、京大が自力を発揮して勝ち、優勝しました。
この時のメンバーで、今も活躍している人の名を挙げると、
京大→花山プロ。
阪大→清水誠也、鈴木正人、(平田隆彦?)
東大→宮内、(井出村?)
慶應→.....清水か。
という訳で、長々とお読み下さった方、ありがとうございました。
最後に、東工大が決勝ラウンドに残れなかった原因として、
現在まで語り継がれているものを紹介しちゃいます。
→決勝ラウンド当日にテニス旅行の予定を入れていて、
「決勝に残ったらどうしよう」などと不謹慎な事を言っていた
ヤツがいました。そう、これこれ。これが原因だったのです。
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キヤノン株式会社 取手事業所 映事品質計画1課 成田秀則
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